ライドーン! 歌いながらフリップをめくるピン芸人『シオマリアッチ』。ファンキーなキャラクターながら、そのネタは緻密に計算されていて、いつのまにかその世界に引きずり込まれてしまう。そんなシオマリアッチに……、コーヒーブレイク・インタビュー!
シオマリアッチ 出身地 神奈川県 生年月日 1982年9月4日 血液型 A型 サイズ 身長172cm/体重 62kg/足のサイズ 27.5cm 趣味 ファンキーなアイテム集め 特技 絵を描くこと、モノマネ 資格 普通自動車 部活動 野球 (出典:グレープカンパニー公式HP)
幼馴染とダウンタウンを目指す
――芸人を目指したきっかけは?
シオ:もともとダウンタウンさんが大好きで。小学校からの幼馴染がいたんですけど、そいつと「一緒にやろう」って中学くらいからよく話してて。
――子どもの頃からの夢だったんですね。
シオ:そうなんですけど、その中学のときに僕が神奈川から新潟に引っ越すことになっちゃって。高校卒業したら帰ってくるから「一緒にやろうぜ」って約束してました。
――青春ですね! その約束は果たされるんですか?
シオ:はい。高校卒業して再会しまして。幼馴染だし「ダウンタウンになれるんじゃないか」って本気で思ってました。ダウンタウンさんになるなら同じ道行こうってんで、神奈川なのに、2人でわざわざ大阪のNSCに行きました。
――関東から大阪NSCは珍しいのでは?
シオ:僕らそういうのも全然考えてなくて(笑)。「ダウンタウンになりたい! じゃあ大阪っしょ!」って。
――(笑)
シオ:そのときは東京校があるとか全然知らなくて。後に知ったら普通に電車で20分くらいで行けることがわかって(笑)。
――ダウンタウンさんしか見えてなかった。
シオ:あと、地元出たかったってのもあったかもしれないです。誰も知らない新しい地に行って始めたいっていうのもありました。
――高校卒業してすぐに大阪に行くんですね。
シオ:その前に、1年間働いてお金貯めようってなりまして。学費とか引っ越し資金とか。
――なるほど。
シオ:……って思ってたんですけど、やっぱ地元の神奈川に戻ったらメチャクチャ遊んじゃって(笑)。
――(笑)
シオ:これマズいってなって。「マジでもう1年!」っていう形でなんとか貯めて。そのもう1年も半年くらい遊んじゃってお金ギリギリでした(笑)。
――楽しい年頃ですからね(笑)。
シオ:20歳のときにやっと大阪に行きました。
2人で大阪NSCへ
――そして、大阪NSCに入学します。
シオ:はい。26期として入りました。
――コンビ名は?
シオ:『マンハッタン』です。『ン』が付くと売れるっていうのもありましたし(笑)。
――当時よく言われてましたね(笑)。
シオ:あと、2人とも坊主頭でダボッとした服装してて、『マンハッタン』って響きもヒップホップっぽい感じもあって。
――見た目怖そうですね。
シオ:でも見た目とか生かさずにネタは喋りだけだったんです。ダウンタウンさんになりたかったんで(笑)。
――(笑)
シオ:あと、僕ら東京弁で漫才やってたんですよ。下手な関西弁使ってたらダセーなって思って。そしたら講師の方に「自分らなんで大阪来たん?」って言われるんですよ。
――はい。
シオ:僕らも「やっぱ、大阪の漫才学びたくて……」って言うんですけど、「ムリや思うで」「東京行きや」みたいなことすごく言われて。3人くらいの講師の方に言われましたね。
――厳しいですね。
シオ:大阪で知り合った女の子にも「東京の漫才とか聞いてられへん」って。
――(笑)
シオ:だけどもう……。30、40万払って入ったし、地元のツレとかも盛大に送り出してもらったりしてて、引っ込みつかないですし。「売れるまで帰ってくんなよ!」って言われてますし(笑)。
――ツラいところですね。
シオ:「大阪で売れて東京に凱旋!」って想像してたんですけど……、いきなり躓きました。
そしてNSC卒業
シオ:NSCでは優秀な順からABCとクラス分けされるんですけど、僕らずっと1番下のCクラスで。なんにもなくて。
――はい。
シオ:卒業しても所属できるわけではなく、よしもとに入るためのオーディションを毎月受けるんです。
――それはどんな形で行われるんですか?
シオ:毎月200~300組が1日50組くらいずつに分かれて……。お客さんの前でネタをするんですけど、もう流れ作業みたいな感じで。そのなかで15組~20組くらいが合格します。
――すごい競争率!
シオ:そこで3位までに入ったら、やっと上のクラスと戦える権利を得られて。でも負けたら1からやり直しで。
――『カイジ』みたいな話ですね(笑)。
シオ:そうなんですよ(笑)! お客さんの投票で合否が決まるんですけど、全然勝てなくて。
――大阪だと地元の友だちもいないですもんね。
シオ:それと、見た目もやっぱり怖かったのか、あんまり誰も近寄ってこなくて……。ずっと寂しい思いをしてました(笑)。
――(笑)
シオ:相方もホームシックになっちゃって。音信不通になった時期もありましたね。
解散してピン芸人へ
――その所属オーディションの時期はどのくらい続くんですか?
シオ:5年くらいですね。
――5年! 長いですね。
シオ:はい。けっこういろいろやりましたね。漫才、コント、リズムネタ、ショートコントとかも。
――ダウンタウンさんを目指していたはずなのに……。
シオ:あ、それは1年目で気付きました。「なれねえな」って(笑)。
――(笑)
シオ:その5年のなかで、たまにいいとこまで行ったりもあったんですけど。「これはもう無理だな……」ってなって。
――なるほど。
シオ:相方とは幼馴染だし、面白いヤツだったんで「コイツとだったら天下取れるかも」って思って組みましたし、売れるんだったらコイツとってのもあったんですけど。
――解散してしまう。
シオ:はい。ずっとコンビだったんでいい相方いたら組みたいなと思っていたんですけど、やっぱすぐ見つからなくて。でも間を空けたくなかったんで、ピンでやってみようってなりました。
――間を空けたくない気持ち、わかります。
シオ:それで、解散した次の月からピンでライブに出ました。そのときに『シオマリアッチ』って名前に。
――最初からシオマリアッチという名だったんですね。
シオ:ヒップホップキャラみたいな構想はもともとあって。絵が得意だったんで『桃太郎』とかの紙芝居をチャラくしてやったんですけど。そしたらメチャクチャウケて。
――スタイルも今とあまり変わらない。
シオ:はい。で、初めて出たR-1ぐらんぷりで3回戦まで行きまして。今までM-1グランプリとかも1回戦落ちとかばっかりだったんで。
――手応えを感じた。
シオ:そこから『あらびき団』とか出させてもらって、完全に調子に乗りました(笑)。
――周りの反応はいかがでしたか?
シオ:周りの芸人もけっこう「面白い」って言ってくれました。
――いつかはコンビを組もうという気持ちはあったんですか?
シオ:ピンになって半年くらい経って、他の人とユニットのお試しコンビをやったんですよ。それで「ちょっと本腰入れてやってみるか」ってなったときに、周りから全力で止められて。「1人の方が絶対いいよ」って。
――(笑)
シオ:それで、自分の中でピンへの覚悟が固まりましたね。
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