解散を経てアラサーからのリスタート【キズナ(前編)】

『ザンゼンジ』と『イシクラノオノ』。東京のライブシーンを知っている人には馴染みのコンビ名。しかし、それぞれ4、5年前に解散。そして、そのなかから2人が新たに『キズナ』としてリスタート。設定に定評があるコントでネタ番組にもチラホラ顔を出し始めている。キズナに……、コーヒーブレイク・インタビュー!

※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、リモートによるインタビューとなっております。画像は、リモート画面のキャプチャーと、ご本人よりご提供いただいたものを掲載しております。

(リモートインタビュー キャプチャー画像)
キズナ
武田裕司(たけだゆうじ) 名前 小野大樹(おのだいき)
1984年7月10日生まれ 生年月日 1987年8月27日生まれ
岡山県岡山市 出身地 神奈川県
B型 血液型 O型
後頭部テーブルクロス引き 特技
釣り、ホラー映画鑑賞、ベランダガーデニング、猫島巡り 趣味 キャンプ、ブッシュクラフト、天体観測、Tシャツ作り、パズドラ
資格 全商簿記検定3級、情報処理検定3級
備考 麒麟川島さん主催のPSPゲーム「モンスターハンター2ndG」の大会で芸人NO.1になった事があります!
(出典:プロダクション人力舎公式HP

小野さんはクラスの太陽?

――芸人を目指したきっかけを教えてください。どちらから伺いましょうか?

小野:僕が年齢的には下なんですけど、芸歴的には先輩で……。

――では小野さんからお願いします。

小野:僕は高校卒業のタイミングでどうしようかと思って……、進学もしたくないし、就職もしたくなかったんで(笑)。

――(笑)

小野:それで、高校1年生のときに『アンタッチャブル』さんが『M-1グランプリ』で優勝するのを見てて、それを思い出して「お笑いいいな」って思って……。

――それでお笑いの世界に。

小野:はい。プロダクション人力舎の養成所『スクールJCA』の門を叩きました。

――高校時代の小野さんは、芸人になるようなキャラだったんですか?

小野:そうっすね……。恥ずかしいですけど(笑)。

武田:教えてよ小野ちゃん。けっこうふざけてたの(笑)?

小野:けっこうふざけてましたね(笑)。

――クラスでは目立つ存在だった?

小野:そうっすね。小中高とめちゃめちゃ目立つ存在でした。クラスの太陽的な存在でしたね(笑)。

――クラスの人気者だったんですね。

小野:いつもみんなの笑いの中心にいたつもりです(笑)。

――しかし現在、芸人として『クラスの人気者タイプ』とは違うような面もあるように感じますが……。

小野:やっぱりそういう人が集まるじゃないですか、この世界。それに勝てないなってんで、悩んでます(笑)。

『とんねるず』さんに救われた武田さん

――武田さんが芸人を目指したきっかけは?

武田:僕は小学校のときから『とんねるず』さんに憧れてまして。

――テレビでよく見ていた?

武田:もちろんそうなんですけど、僕、小学校のとき、めちゃくちゃイジメられてたんですよ。

――はい。

武田:これ、美談とかじゃないんですけど、鮮明に覚えてることがひとつあって。その日も僕はイジメられてて。いじめっ子に絶対負ける勝負を仕掛けられて、罰ゲームだっていうことで、髪を切られたんです。

――それってけっこう深刻なイジメなのでは?

武田:言っても、切られたのはパッと見わからないくらいなんですけど……。泣きながら家に帰ったんです。そしたらちょうどその日の夜に『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』をやってて。そのなかで、定岡正二さんが罰ゲームで髪を切られてたんです。

――自分に重なりますね。

武田:そうなんです。で、それを見た親がめっちゃ笑ってたんです(笑)。

――(笑)

武田:その親の姿を見て「あ、これって、頑張れば『面白い』ってことになるんだな」って思って。

――ということは、武田さんは厳密に言うと『とんねるず』さんではなく、定岡さんに憧れてお笑いを始めたということになるのでは……?

小野:確かに(笑)。

武田:違うなあ。違うって言いにくいけど。

芸人かバスプロか

――それで芸人になろうと思ったんですか?

武田:芸人かバスプロになりたかったんです。釣りが好きで。今でもやってるんですけど。

――なるほど。

武田:一時、毎日のように釣りに行ってて。高校2年生のときに、親に「バスプロになりたい」って言ったんです。そしたら「そんな職業はねえ!」って言われて(笑)。

――(笑)

武田:確かに今でこそYouTuberも出てきて、バスプロ1本で食ってる人も増えたっぽいですけど。当時は別で働きながらっていう人も多かったんで。

――なるほど。

武田:それで親に「じゃあ芸人は?」って聞いたら「芸人はあるからいいよ」って言われて(笑)。

岡山から大阪の大学へ

――それで武田さんは『スクールJCA』に入るんですか?

武田:いえ、その前に「親が大学だけは行ってくれ」って言うんで、大学に行きました。岡山なんで、大阪よしもとに入ろうと思ってて。僕の高校から推薦で行ける大阪の大学に行きました。

――なるほど。

武田:そこに入学して、1年生のときにお金を貯めて、大学2年生のときに『大阪NSC』に入りました。同期は『GAG』とか『2700』のツネくんとかですね。

――親御さんとしては問題なかったんですか?

武田:もともと芸人になりたいって言ってましたし、お金は自分で出したんで、大丈夫でした。

――そこでコンビを組んだりしたんですか?

武田:はい。『ブルドック』というコンビで漫才を。2人ともブサイクだったんで。「どうも~。『ブルドック』で~す。誰がブルドックや!」って言って(笑)。

小野:(笑)

――ウケはいかがでしたか?

武田:僕がボケで。めちゃめちゃ自分のことを天才だと思ってて。相方にネタのことは口を挟ませずに「俺書いたヤツやれよ」って感じでやってて……。そしたらめちゃくちゃスベって(笑)。

――(笑)

武田:「これはダメだ」と思って。心折れて半年で辞めました。

――残念。

武田:でも『M-1』の『アンタッチャブル』さんと『おぎやはぎ』さんを改めて見たときに「こんなに面白い人たちがいるんだ」って思ったんです。それで、東京でもう1回やってみようってことで、大学を卒業したあとに『スクールJCA』に行きました。

『イシクラノオノ』結成

――それぞれ『スクールJCA』に入学します。小野さんの方が先輩とのことでしたが……。

小野:僕が15期で、武田さんが16期です。

――小野さんが高卒で武田さんが大卒なので、小野さんが『年下だけど先輩』という状態になるんですね。

小野:そうです。

――小野さんの『スクールJCA』時代はどんな感じだったんですか?

小野:『イシクラノオノ』というコンビだったんですけど、最初誰も組んでくれなかったんです。

――それはなぜ?

小野:僕、高卒で1番若くて、テンションが高かったんです。それで周りからはイジられるんですけど、結局誰からも相手にされてなくて。続々と周りは組んでいくんですけど僕だけ残ってて……。

――そうなんですね。

小野:そしたらのちに相方になる石倉が残ってたんです。よくよく聞いたら石倉は『スクールJCA』を留年してて2年目で。カッコつけて相方選んでたら、みんな組んじゃって残っちゃってたみたいで(笑)。

――(笑)

小野:ピンでやっていく自信もないから、互いにどういう人間かもわからないまま組んじゃいました。

(ラジオ番組にて)

『イシクラノオノ』で11年

――『イシクラノオノ』はどのくらい活動していたんですか?

小野:11年くらいです。最後の1年くらいは改名して『いきるゆうき』ってコンビ名でした。

――ウケはいかがでしたか?

小野:同世代ではずっと上位でしたね(笑)。

――なぜ解散してしまったんですか?

小野:単純に相方のせいにはしたくないんですけど……。如実に「こいつだろう」とは思っていて(笑)。

――相方のせいにしてますね(笑)。

小野:やる気が感じられないというか。ネタでもトークでも、いつ「俺はこれがやりたいんだ」っていう意思表示をしてくるかなと思っていたんですけど、それがまったく見えてこなくて。

武田:面白みはある人なんですけどね。

小野:確かに、面白みはあっていい人なんですけど。

――それで、小野さんから解散を切り出した。

小野:はい。相方の家庭の事情もあったりして、解散することになりました。

――小野さん自身は解散してどうするつもりだったんですか?

小野:完全に足洗おうと思ってました。

『ザンゼンジ』結成

――小野さんの1年後輩で、武田さんが『スクールJCA』に入ってきます。

武田:『ザンゼンジ』というコンビを組みました。確か、初日に組みましたね。

――相方(現『三福エンターテイメント』)に感じるものがあったんですか?

武田:とにかく男前と組みたくて。1番男前の三福に声をかけました。作戦って言うほど大層なものじゃないんですけど……。『ブルドック』のときの経験を生かして、両方ブサイクのコンビはやめようって思って(笑)。

小野:(笑)

――三福さんはすんなりOKしてくれたんですか?

武田:「ツッコミやりたいんだけどどう?」って言ったんです。それでOKになりました。今でこそ最初からツッコミやりたい芸人さんもたくさんいますけど、当時はみんなボケやりたくてこの世界来てますから。

――自分がレアキャラなことをアピールしたんですね。

武田:『ブルドック』時代に自分のボケで死ぬほどスベってますし(笑)。