ぽっちゃりカトパンとそれを影から支える男【駆け抜けて軽トラ(前編)】

『カトパン』こと加藤綾子アナウンサーのモノマネでおなじみ『餅田コシヒカリ』。最近はコンビ『駆け抜けて軽トラ』としての出演も急増。年末年始のお笑い番組などで、彼女がコンビだということを初めて知った方も多いのではないでしょうか? 今回は、もちろんコンビとして話をうかがいました。『駆け抜けて軽トラ』に……、コーヒーブレイク・インタビュー!

※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、リモートによるインタビューとなっております。画像は、リモート画面のキャプチャーと、ご本人よりご提供いただいたものを掲載しております。

(リモートインタビュー キャプチャー画像)
駆け抜けて軽トラ
小野島徹(おのじまとおる) 名前 餅田コシヒカリ(もちだこしひかり)
小野島徹(おのじまとおる) 本名 持田ひかり(もちだひかり)
1987年9月16日 生年月日 1994年4月18日
埼玉県 出身地 宮城県
AB型 血液型 A型
168cm 身長 149cm
58kg 体重 73kg
B:93 W:78 H:89 サイズ B:110 W:118 H:120
パン作り/鎖鎌/スチールパン演奏 趣味 食べ歩き・読書(東野圭吾作品愛読) 段ボール家具作り・ミュージカル観劇・即興ミュージカル・即興作曲
音楽(グランジロック・ブリティッシュポップ) 特技 ピアノ(17年)・耳コピ・絶対音感・歌(声楽6年/ゴスペル2年/Nコン2011銅賞)・ 着やせ格安コーディネート
ニュース検定2級/世界遺産検定2級 免許/資格 ピアノグレードテスト6級
備考 自称カトパンの自撮りマスター
(出典:松竹芸能公式HP

ミュージカル女優になりたくて

――まずは餅田さんから伺います。どのようにしてこの世界に入ったんですか?

餅田:私、もともとはお笑いじゃなくてミュージカル女優になりたくて、劇団四季に入りたかったんです。

――そうなんですね。

餅田:ミュージカルを学ぶために専門学校に行きました。それで1年生のときに「劇団四季に入りたい」って先生に言ったんです。そしたら「太っている人は入れないよ」って言われて……。

――(笑)

餅田:そんなこと言われると思ってなくて、ビックリしちゃって(笑)。

――そのころからぽっちゃりしていたんですか?

餅田:今よりもちょっと痩せてました。マイナス10キロくらいですかね?

――そうなんですね。

餅田:進路に悩んでいたところに、松竹芸能から声をかけられました。

――まさかの芸人の道へ。

餅田:「芸能界の入口はなんでもいいんじゃない? お笑いから女優にもなれるよ」って誘惑されて。

――(笑)

餅田:それで、改めて『松竹芸能タレントスクール』に入りました。

しんどかった養成所時代

――女優になろうと思っていたのに、急にお笑いの養成所へ行くことに。入ってみていかがでしたか?

餅田:本当にしんどかったです……。

――え(笑)。

餅田:ネタ見せとか……。今までの人生でお笑いを見てこなかったんですよ。見てこなかったどころか、正直言ったら嫌いだったんですよ。

――例えば、テレビの漫才を見て笑ったこととか……。

餅田:なかったです。すいません(笑)。今でこそ笑いますけど、当時、何が面白いかわからなかったんです。

――学校で、面白いバラエティ番組の話とかなりませんでした? 「昨日のアレ見た?」みたいな。

餅田:そういう話にも参加しなかったですね。参加したとしても知ったかぶりしてて(笑)。

――養成所ではどんな活動をされていたんですか?

餅田:『棚からブタもち』っていう男女コンビを組んで、コントをやってました。

――ウケはいかがでしたか?

餅田:まったくウケなかったですね(笑)。やる気がなかったからだと思うんですけど……。

――やる気がなかった。

餅田:女優になりたい夢が本当に諦めきれなくて。そのときに『一週間フレンズ。』って映画にも出させてもらったんです。主人公のクラスメイトで、台本に名前も載せてもらってる役で。すごいいい感じだったんです。だから私は「このまま女優になるんだな」って思ってて。

――なるほど。

餅田:なので、事務所に所属はできたんですけど、その後半年くらいで解散しちゃいました。

解散してなにもしない日々

――『棚からブタもち』はなぜ解散してしまったんですか?

餅田:今思えば私のせいなんですけど……。映画だけじゃなくて、他にピンの仕事もいただいてて。主にダイエットの仕事が多くて。それで気持ちのズレが出てきちゃって。

――それで餅田さんはピン芸人に?

餅田:一応、ピン芸人ということにはなったんですけど、なんにもやってなかったですね。ネタも何もやってなかったです。

――それで小野島さんと組むことに?

餅田:はい。2年目くらいのときに、マネージャーさんから「組んでみないか?」って言われて。

――なんと、マネージャーさんからの勧めなんですね!

餅田:そうなんです。小野島さんとは話したこともなくて。あいさつ程度ですかね?

――小野島さんの方が先輩?

小野島:全然先輩です。7年くらい上です。

小野島さんはスカウトで所属

――小野島さんは、どのようにしてこの世界に入ったんですか?

小野島:僕は養成所じゃなくて、スカウトです。

――すごい! お笑いではあまり聞かないですが(笑)。

小野島:もともと法政大学のお笑いサークルで芸人やってまして。大学は成城大学なんですけど、サークルは法政に行ってて。そこで3ヶ月に1回くらいライブがありまして、そこにいらっしゃってた松竹芸能のマネージャーさんに「所属しないか」とお声がけいただきました。

――なるほど。

小野島:そのとき組んでいたコンビで所属することになりました。

――どんなコンビだったんですか?

小野島:小野島と横田で、『オノ・ヨーコ』っていうコンビ名で(笑)。その後『ラバボーズ』に改名するんですけど。主に漫才を。

――小野島さんはボケ・ツッコミで言うと?

小野島:僕はボケをやってました。最初ツッコミだったんですけど、相方が、ボケが嫌になっちゃって。「ツッコミでしか笑い来てないじゃん」って。

――(笑)

小野島:それで交換してボケに。僕は1回の交換かなと思っていたんですけど、そこからずーっとそのままで(笑)。

――それまで、小野島さんのツッコミで笑いを取っていたコンビだったんですね。

小野島:いや、相方がボケが嫌になっちゃったのは、最初に作ったネタだけでして。データも取れない状態で相方が傷ついちゃったんで(笑)。

――(笑)

(ネタ番組収録時のひとコマ)

純粋すぎる相方のタトゥー

小野島:相方は純粋な性格で。お笑いの情熱があまり余って、胸に漫才マイクのタトゥーを入れてました。

――え!?

小野島:サンパチマイク(漫才用のマイク)の存在を知らずに、ハンドマイクのデザインだったんですけど。

――すごい情熱ですね(笑)。

小野島:それが発覚したのがちょうどお笑い界でコンプライアンスが騒がれだした時期でして。「事務所をやめるか消すかどっちかにしろ」って言われました(笑)。

――(笑)

小野島:結局『消す』っていう選択をして。タトゥーって徐々に消えるんですけど、そのタトゥーが完全に消えたと同時に、彼が「芸人をやめる」って言い出しまして……。

――そのタトゥーが情熱の象徴だったんですね(笑)。

小野島:そのタトゥー事件があったせいで、養成所で「どんなことがあっても漫才マイクのタトゥーを入れるな」って授業ができたらしく。1コマ分授業が遅れたって噂が流れてきました(笑)。

――それで、ラバボーズは解散してしまうんですね。

小野島:はい。8年目くらいのときでしたね。

そして餅田さんと引き合わせられる

――そこからピン芸人になるんですか?

小野島:はい。本名の『小野島徹』で。けっこう毒のあるコントをやってました。

――どのくらいの期間やられていたんですか?

小野島:半年くらいです。それで、ある日マネージャーさんから「餅田コシヒカリと組んでみないか」ってお話をいただきまして……。

――先ほどの餅田さんのお話に繋がりました。それで組むことになったんですね。

小野島:すぐには組みませんでした。前の相方で苦労してたんで「もう他人の神輿は担ぎたくないです」って言って断りました。

――餅田さんは、最初断られたのは知っていましたか?

餅田:初耳です(笑)。

小野島:そもそも最初、餅田には話が行ってなかったんですよ。その話いただいてから餅田に会ったとき聞いたんです。「……って話あるんだけど、知ってる?」って(笑)。

餅田:「全然知らないです」って言って(笑)。

――そのころの、小野島さんから見た餅田さんの印象は?

小野島:すぐお笑いやめるんだろうなとは思ってました(笑)。

餅田:(笑)

――逆に、餅田さんから見た小野島さんの印象は?

餅田:コンビの印象なんですけど「すごい人たちだな」って。

――そんな『すごい人たち』の1人と組むって聞いたときは?

餅田:「ネタ書いてくれるのかなあ、ありがたいなあ」って思いました(笑)。