漫才・歌ネタ・バンドと幅広く活動する『ドドん』。なんと、お坊さんと元バンドマンという異色の経歴の持ち主。そんな2人がなぜコンビを組むことになったのか? ドドんに……、コーヒーブレイク・インタビュー!
ドドん 石田 芳道(いしだ ほうどう) 名前 安田 義孝(やすだ よしたか) 1985年7月21日 生年月日 1981年11月27日 A型 血液型 O型 愛媛県 松山市 出身地 千葉県 船橋市 身長 163cm・体重 65kg/B 94cm・W 85cm・H 89cm/足のサイズ 27.5cm サイズ 身長 176cm・体重 64kg/B 77cm・W 76cm・H 84cm/足のサイズ 26cm 曹洞宗住職免許、でんぱ組.inc検定、普通自動車免許 資格 普通自動車免許、普通自動二輪免許 プロレス、でんぱ.組.inc、四国八十八カ所遍路 趣味 Mr.Children、GLAY 読経、書道(八段)、水泳、マニアックお坊さんモノマネ 特技 高速ハリガネ抜き、足ギター、料理、ギター、ベース、ドラム 【略歴】2009年4月コンビ結成。2010年9月から浅井企画に所属。
漫才や歌ネタなど、唯一無二の“お坊さんネタ”は必見。石田は正式な免許を持つ、芸人界初の本物のお坊さん。「でんぱ組.inc」と「プロレス」がとにかく大好き。 四ツ谷・坊主BARにて勤務中。安田は葬儀屋に現在勤務中。
お坊さん×葬儀屋コンビ! 現在は”仏教×笑い×音楽”がテーマの仏教エンターテイメント集団「南無ズ」の一員として活動中。安田は作詞、作曲も歌唱も得意。南無ズのメインボーカル。ギターの腕前は芸人界随一の腕前。「やついフェス」にもアーティストとして参加!(出典:浅井企画 公式HP)
お坊さんになるか芸人になるか
――なぜお坊さんがお笑い芸人に?
石田:実家がお寺で。僕、長男なんですけど……。もともとはお笑いやりたかったんです。
――はい。
石田:でも、親はお寺を継いで欲しいという思いがあって。話し合った結果、大学に行くことになるんです。
――仏教を勉強する大学ですか?
石田:いえ、普通の大学です。お坊さんになるには、一定期間の修行をしなくてはいけないんですが……。実は、最終学歴で修行の期間が変わるんです。高卒だと最低3年はかかるんですけど、大卒だと最短は半年で修行を終えることができるんです。
――そうなんですね。
石田:だから、のちのちお笑いの道を諦めて、40歳50歳でお坊さんになったとしても、大学は卒業しておいた方がいいと。
――なるほど。
石田:それで、地元の愛媛の大学に通うことになるんです。
大学お笑いで全国優勝
――大学生になりました。
石田:はい。それで、大学で落研に入ります。
――落研では、コンビで活動していたんですか?
石田:コンビもピンもやってました。
――コンビ名は?
石田:『マレーシアン』っていうのと、『レベルみかん』っていうのと。
安田:あれは? 豚骨ラーメン……。
石田:『豚骨ラーメンズ』っていうのもやってて。ラーメンズさんが好きな先輩と(笑)。
――(笑)
石田:黒い服着て、ラーメンズさんを意識したコントを。ちょっと僕には難しかったです(笑)。
――ピンでは?
石田:『いしだとうふ』って名前で。それで、4年生のときに大学お笑いの大会で、全国優勝したんですよ。
――全国優勝!
石田:大学お笑いが今ほど盛り上がってる時代ではなかったんで、参加人数は少なかったんですけど。で、その中でも『コント部門』っていう、さらに人数が少ない部門で。
――その大会はどのように行われたんですか?
石田:西日本、東日本それぞれで予選が開催されるんです。それで、愛媛から「行かなきゃ!」ってんで西日本予選の大阪に行って。
――遠征したんですね。
石田:で、予選に行ったらほぼ大阪の大学しかいなくて。大阪以外から行ったの、僕らだけだったんです。
――(笑)
石田:そこで勝ち上がりまして。
安田:でも表彰式出られなかったんだよね。
石田:愛媛にフェリーで帰らなきゃいけなかったんです。「あいつはナニモノだったんだ?」って。伝説になりました(笑)。
――その後、西日本と東日本の代表で決勝が行われるんですね。
石田:はい。東京で決勝大会が行われて、コント部門で優勝しました!
そしてお坊さんの修行へ
――そして大学を卒業します。
石田:はい。卒業した次の日にお坊さんの修行に行きます。
――え! 全国優勝したのに。しかも次の日に。
石田:親に説得されて(笑)。
――すみません。安田さんが全然出てこない展開になってきましたが……。
安田:大丈夫です(笑)。
――お坊さんの修行はどんなところに行くんですか?
石田:愛媛県内に、西日本で一番厳しいと言われる修行寺がありまして。そこにウチの家系はずっと行ってるので、そこに。
――厳しいのは、ツラいですね。
石田:お坊さんの世界では「どこの修行寺出身ですか?」って会話があるんですよ。
――最終学歴みたいな。
石田:はい。そこで、厳しい修行寺を言えた方がいいんです。箔がつくんで。本山はもっといいんですけどね。
――なるほど。
石田:で、修行は春と秋ににしか出たり入ったりできないんですけど……。その年の秋に修業を終えます。
――前半で仰っていた、最短の半年ですね。
石田:最短狙ってたんで(笑)。親もそれで許してくれました。
――猫かぶってやってたんですね(笑)。
石田:いやいや(笑)。勤勉にやってましたよ!
やっとの思いで上京
――修行も無事終えました。
石田:はい。それで、お笑いの養成所は春からかなって思って。半年間、地元のお笑いライブとか出てました。老人ホームでネタやったり。そして春になって、上京します。
――親御さんはなんて?
石田:快諾してくれました。実は親父も目立ちたがりで、イベントや結婚式の司会もやってたりしてる人で。母親も「お父さんの子ね~」って。
――そうなんですね。
石田:あと、親父も大学は東京で、その楽しさを知ってるんです。「母さんがいなかったら、俺もホントは東京にいたかった」って(笑)。
――ひどい(笑)。でも、ある意味では親父さんの夢の続きを、ということもあるんですね。
石田:そうかもしれないですね。あまり多くは語らないですけど。
――石田さん自身、お坊さんになるのはイヤだったんですか?
石田:イヤじゃなかったんですけど、お笑い芸人になりたいっていう意思の方が強かったっていう……。挑戦せずにはお坊さんは継げませんって感じですかね。
――なるほど。
石田:それで、ウッチャンナンチャンさんが好きだったんで、マセキ芸能社が主催している『マセキタレントゼミナール』に入学します。
――東京に出てきました。
石田:そこに安田さんがいたんです。
――やっと出てきました!
安田:はい(笑)。
安田さんは元バンドマン
――安田さんはもともとバンドをやっていたんですよね? いつ頃からやられていたんですか?
安田:大学受験が終わってヒマになったときに、友達にギターを教えてもらったんです。それで、ギターが楽しくなっちゃって。その友達とバンド組んで……。そこからですね。
――メンバーは高校の同級生?
安田:はい。のちのち入れ替わりはありますけど。
――受験が終わったということですが、大学には行ったんですか?
安田:はい。千葉の大学に。で、大学通いながらバンドもやってて。
――そして、就職の時期になります。
安田:就職も考えたんですけど、バンドの方が楽しくて。で、そのバンドもライブハウスの店長さんに気に入られたりして。「CD出さないか?」って言われたりもしてたんで。大学卒業してそのままバンドの道へ。
――バンド名は?
安田:『ブレンドソース』です(笑)。
石田:(笑)
――パートは?
安田:ずっとギターです。
――事務所に所属などはしたんですか?
安田:いえ。全部自分たちで。でも、ツアーとかやってましたね。北は青森、南は神戸くらいまで。
――順調に感じますが……、どこかで辞めることになるんですよね。
安田:はい。メンバーに女性がいたんですけど。バンド内恋愛が(笑)。
――え!
安田:僕は当事者じゃないんですけど、それが原因で楽しくなくなってきちゃって……。それを知ったのも僕が最後だし(笑)。
――(笑)
安田:あと、僕自身ギターで伸び悩んでいたってのもあって。
石田:プロになってくると、我々の知らない壁があるんでしょうね。
安田:「あそこズレてるから」って言われても、どこがズレてるかわからない(笑)。
――周りのギタリストに比べて、安田さんのギターの腕前はどうだったんですか?
安田:そんなにうまくなかったと思います。何もわからず突っ走ってただけなんすよ。
――年齢的にもそういう時期なんだと思います。
安田:今の方がうまくできますね。それに、今ってネットで調べたら『どうしたらこういう音が出る』ってわかるんで。その当時はまったくわからなくて。自分で見つけるしかないんです。
――なるほど。
安田:「ギター向いてないのかな~?」って思い始めちゃって。それで抜けることにしたんです。で、僕が抜けたら解散になっちゃったんですよ。ブレンドソース。
――どのくらいやられていたんですか?
安田:24歳くらいまで。高校の終わりから始めたんで6年くらいですかね。
バンドをやめてお笑いの道へ
――そこからお笑いの道へ?
安田:ちっちゃい頃からお笑いは好きで、よく見てたんです。『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』とか、『ダウンタウンのごっつええ感じ』とか。
――小学生の頃でしょうか。
安田:友達と真似したりしてて。「いずれ芸人になるんだろうな」って思いながら生活してるくらいの。
――なるほど。
安田:でも、高校のときにバンド組んじゃったんで、そっちにバーッと行っちゃっただけで。
――ある意味、発散はされていますからね。
安田:それで、バンド解散したときに就職も考えたんですけど、お笑いの世界に1回飛び込みたいなと思って……。
――大学から就職を選ばずにバンドやって、それがなくなって……。焦りますよね。
安田:それがなんの焦りもなかったんです(笑)。
石田:まさかの?(笑)
安田:今にして思えば、そこがキーポイントでしたね。
――焦っていたら、お笑いを始めなかったということですね。
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